在宅お役立ち情報

care-eco's magazine

2021/03/08

【インタビュー】藤枝 潤さん(食パン専門店「高匠」代表取締役)

朝食文化を作る!食パン専門店「高匠」社長の想い|在宅応援エピソード

高匠さんには本サイトでのクラウドファンディングでリターンに関し多大なご協力を頂きました。

在宅療養とパン屋さん、一見何の関係もなさそうですが、なぜ今回ご協力下さったのでしょうか。

そこには、「食と健康」に対する藤枝社長の熱い想いがありました。


シンガポールカフェ経営という異色のキャリア

-藤枝社長は元々シンガポールでカフェ経営をされていたと伺いました。どういった経緯でそのようなキャリアになったのですか?


はい、学生時代から海外が好きでしょっちゅう旅してました。その影響もあって、就職活動の際は業界を絞らず海外に行かせれもらえる企業を狙って受けました。


食品メーカー、建設機器、橋桁のシステムの会社などなど。なかなか決められずに迷っていた中、ひょんなことからタイのバンコクで会計事務所経営を行なっている先輩に相談したところ、まさかのそちらでインターンをさせてもらえることになったのです。

ここでの経験がかなり大きかったですね。

インターンながら、会計から人事や管理業務など幅広い仕事に携わらせていただきました。


-学生のうちにその経験はとても価値が高いですね!ではそのままの流れで海外就職されたのですか?


いえ、確かにそのままバンコクで働くことも考えてはいたのですが、給与水準や為替のことを考えると現実的ではないかなと。シンプルにいってしまえば、給与水準が低いので、ずっとバンコクにいるのであればまだしも、日本に帰れなくなってしまうなと笑

そこで就職ではひとまず日本に帰ることにしました。知り合いのベンチャーに入って、事業立ち上げなどまた様々なことを経験させてもらいました。


ベンチャーで働いていると投資家に知り合う機会も出てきます。ある投資家と知り合い、シンガポール事業を展開するから、そこの責任者をやってくれないかというオファーを受けました。

実は25歳までに海外に行かないと、海外で働く機会を逸すると前々から思っていたこともあり、絶対に25歳までには海外に行こうと思ってました。まさに渡りに船で即決しましたね。

2013年からシンガポールでカフェ事業を一気に展開させていただくこととなりました。


-なるほど、ここからシンガポール事業が始まるのですね。シンガポールカフェ経営から高級食パンを日本で行うようになった理由を教えてください。


はい、シンガポールのカフェ事業は多店舗展開で新しい店舗をどんどん出店していきました。お客様に常に新しいメニューを提案していくために試行錯誤し、冷凍パンやスイーツなどを日本から輸入してました。ちょうどその時日本では食パン専門店がブームになり始めたばかりだったので、メイドインジャパンの食パンをシンガポールに持ってこようと考えたのが始まりです。


海外に持って行くには日本でちゃんとブランド化されたものでないと厳しいため、まずは日本でしっかりブランド化しようと。しかも私の日本での拠点が関西でもあり、実は食パンの消費量は全国では滋賀、京都、大阪が圧倒的なため、攻める場所としてもちょうど良いというのも決め手でした。やるからには一番の激戦区でやりたいじゃないですか笑


-どうせやるなら激戦区から。元々海外展開から始まったプロジェクトだったのですね。


はい、ただここが簡単ではなかったのです。やはり日本で作ったものを海外に持って行こうとすると品質の保持や輸送量の問題など超えなければいけないハードルが多くありました。

様々なやり方を模索している最中、日本側を担当してくれていた会社の経営陣が病気で倒れてしまいました。突然のことでした。 

これがキッカケで日本のパン事業は自分が本腰を入れて本格的に事業展開を行おうと決心し、シンガポール側の事業は一線を退いて日本に戻ってきたのです。 


-激動ですね。まさかふわっと美味しいパンの裏側にそんな裏話があるとは思いませんでした。


藤枝社長が考える「朝食文化を作る」とは?

-藤枝社長が事業を推進していくにあたり、大事にしていることは何でしょうか?


私が常に言っていることは「朝食文化を作る」ということです。高級食パンは良くブームと言われます。ブームということはつまり一時的なものです。文化とは一時的なものではなく、人々の中に根付いていくものです。食事は文化だと思ってます。ただただ生命を維持するために行うものではなく、食事には喜びがあり、また食べることで健康な身体作りにも確実に寄与します。なぜなら身体が何で出来てるかと言われたら食べているものじゃないですか。



また、医食同源という言葉もあります。日頃からバランスの取れた美味しい食事を取ることが病気の予防に最大の効果を発揮すると私も考えてます。

昨今ですと、新型コロナウイルス蔓延に伴い、お家時間が増えたことや健康意識が高まったこともあり、よりこの考え方を浸透させていきたいという想いが強くなりました。

どんなに歳をとって、食べられるものが少なくなっても食が喜びということは絶対に変わらないものだと信じてます。


医療と食は隣り合わせ

-この考えのもと、ケアエコのクラウドファンディング のプロジェクトにもご協力いただけたのですね?


はい。今後増えていくであろう在宅という選択肢の中で、食を少しでも楽しんでもらいたい、我々にできることは何なのか。

医療と食は隣り合わせです。食パンだけにとらわれること無く、皆さんの健康と喜びに食事というアプローチから携わりたい。ケアエコが進めて行こうとしている在宅で健やかに過ごせる環境作りというのは、私たちが目指す先と重なります。

そこでご一緒に動けることがあればと今回のプロジェクトに協力させていただきました。


-ありがとうございます!はい、在宅の患者さんはどうしても外に出られる機会が減ってしまうので、食事の楽しみというのはとても大事な要素です。医療と食は隣り合わせというのはまさにおっしゃる通りです。今後はどのような展開を考えていらっしゃるのですか?


文化を作っていくという考えのもと、食パンを売るだけの専門店という形だけではなく、既にホテルとコラボしてサンドウィッチを作ったり、外食向けのベーカリカフェやテイクアウト、イートインなど様々なことをトライしてます。

去年、今年だけで新規50店舗を目指して順調に店舗を増やしています。 

やりたいことはたくさんあります。保存や備蓄に関してもいろいろ試しており、食ロスを減らすため、本来食べられる廃棄前のパンでビールを作るなど新しい取り組みにも挑戦していく予定です。 


在宅の方々への応援にも繋がりますが、買い物の場所まで1時間くらいかかるUR団地など、なかなか買い物に出られない人たち向けにキッチンカーで食事を届けるというプロジェクトに、大阪府狭山市と共同で取り組んでいます。

私自身も実際に売り場に立ちましたが、とても喜んで頂けているのがよく分かりました。特に多かったのは、「販売を楽しみにしてた」とか、「遠いのにわざわざ来てくれてありがとう」というお声でした。このプロジェクトは今も毎週定期的に継続しています。


在宅の人は多くのものを我慢しているかと思います。食を楽しみにしている人たちに届ける方法は今後も模索していくつもりです。 (終)

2021/02/19

【インタビュー】篠原 彰先生(篠原医院院長・静岡県医師会前会長)

篠原先生は、静岡県焼津市で医院を開設されておられ、30年以上前から在宅医療を実践されています。今でこそ注目されている在宅医療ですが、当時はまだまだその重要性は認識されておりませんでした。
その先見の明には敬服するばかりです。
また、第17代静岡県医師会長として、在宅医療の発展に尽力された方でもあります。
今回は、篠原先生に在宅医療に対する想いを伺いました。

■お父上の影響で在宅医療の道に
もともと父が開業医をしておりました。当時はまだ車が普及していない時代でしたので、動けなくなってしまった患者さんに往診に行くことは当たり前でした。父がスクーターで往診に出かけていく姿をよく覚えています。また、まだ夜間救急センターなど整備されておりませんでしたから、夜中に急患の方が来たり、家に救急車が来たりしていました。
在宅医療が入院、外来に続き第3の医療形態として医療構想に位置づけられたのは1994年ですが、私は父の影響もあり、在宅医療が外来の延長線にあることが当たり前だと思っていました。

■苦悩の勤務医時代
昭和60年に37歳で東京から地元に帰ってきたのですが、それまで大学で血液内科(白血病など血液の病気を専門とする科)をやっていました。
勤務医時代には色々な経験を積むことができましたが、当時はまだ治療法も少なく、亡くなる患者さんばかりでした。そんな状況に無力感を感じていたのです。
専門科に特化することも大切なのですが、医者は本当は「人」を診なければならない、と思っています。そのために、医者は視野を広くもたなければならないと常々思っておりますし、業界にこだわらず色々な方と交流するように努めています。
寄り添い、頼られ、「診てもらってよかった」と言われる医者になりたいですね。

■地元に帰ってきて気付いたこと
地元に帰ってきて父の後を継ぎました。そこで気付いたことが、お年寄りの方がこれほど多いのか、ということです。
当時は、高齢の方の医療費は無料で、老人ホームも少ない状況でしたから、高齢で動けなくなると最期まで病院で過ごすという方が多かったです。
外来にかかっていた患者さんが入院し、そのままお別れ、ということもよくありました。
しかし、私の診ていた患者さんは、ほとんどが皆ご自宅で最期を迎えられました。
これまで入院を希望したのは2名。よく覚えています。お一人は末期がんの方で、苦しむ姿をご家族が見ていられなかった。もう一人は、最期までできることをやり尽くしたいという思いで入院を希望しました。
その他の方は皆、ご自宅で看取っています。3年連続で大晦日、元旦にお看取りしたことをよく覚えています。
診療所の医者の役割は、人生の最期までお付き合いすることだと思っています。これが医療の在り方だと思っています。

■住み慣れた場所で穏やかに
母は5~6年前に亡くなりましたが、最期は自宅で穏やかに過ごしました。96歳でしたが、亡くなる直前まで元気で、食事もよく食べていました。
私は、患者さんを診るときには必ず脈を取ります。これは医学的な意味もありますが、それよりスキンシップのためです。このように、顔を合わせ、肌を触れることで安心してもらえます。
患者さん方を診ていて思うのは、たとえ何歳であっても「生きている楽しみ」が大切である、ということです。ただ生きているだけでは辛いのではないのでしょうか。
介護保険法にも書いてある通り、私は、人間は最期まで尊厳を持つことが大事なのだと思っています。

■多職種連携の大切さ
在宅医療を実践する中で、絶対に一人ではできないということを実感しました。
平成7年に地域の医師会会長を任せて頂いたのですが、医師会の会議などで在宅診療の時間が減ってしまいました。その時に代わりに対応してくれたのが院内の看護師さんたちでした。
介護保険法ができたばかりのころ、訪問看護事業や、ヘルパーステーションの立ち上げを行いましたが、これが本当に大変だった。当時はまだ行政も慣れていませんでしたし、自分たちで全て調べて作り上げました。ヘルパーの制度も無かったため、ヘルパーさんの育成から始めました。一期生が今でも3名、現役のヘルパーとして働いてくれています。
毎回、自分が関わるすべてのケアマネさんにはメールアドレスを渡して、何かあればすぐにメールしてもらっていましたし、ケアカンファレンスは必ず開いています。

■在宅医療は「ワンチーム」
私はもともとラガーマンでした。
今でもラグビーの試合を見ていると体がウズウズします。
ラグビーの言葉を借りると、在宅医療は「ワンチーム」だと思っています。
(終)

いまでこそ、在宅医療における連携が叫ばれていますが、その重要性を10年以上前から気付き、実践されておられた篠原先生。
そのスピリットに学ぶことは多いのではないでしょうか。
篠原先生、ありがとうございました。

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